こうくんままのブログ

平成27年8月生まれの次男、こうくんはダウン症。房室中隔欠損症のオペを乗り越え、私達家族を笑顔にしてくれます。あれこれ悩み、立ち止まりつつ、でもにぎやかな我が家の事を書いていきたいです。

出産~告知まで 5

今度は、夫婦が逆転。

こうくんを抱いて、涙する夫を、「大丈夫だよ。こうくんがダウン症だったとしても大丈夫。大事に育てていこう。」と声をかける日々。


そして告知の日を、明日に控えた夜中。


ミルクを飲ませたあと、鏡に写った自分とこうくんを見て

「顔つきは、特徴的じゃないけれど、きっとダウン症で間違いない。低緊張で、反射も弱い。この子がダウン症であれば、すべてのつじつまが合う。」そう思ったのを、今でも覚えてます。


心臓の穴は、手術で塞げば治る。じゃあ、ダウン症は?


「ダウン症は、特徴的なところがあるけど、病気じゃないから。」と言った、産婦人科の医師の言葉が、ただ意味もなく、頭に浮かんでは、消えていきました。


病院に着くまでの車の中で、

「この景色、きっと忘れないね。」と夫婦で言葉を交わしました。


薄曇りの高速道路。

暑いのか寒いのか何も感じなかった時間は、この日を最後に、消えていきます。


今思うと告知までの時間が、一番長く辛く感じられた時間でした。

出産~告知まで 4

こうくんは、相変わらずよく寝るし、泣かないし飲まないし。


いろんなことのショックで、あんなに張っていた私の母乳は出なくなり、いつしか、飲ませようとする努力より、楽にでもいいから、少しでも飲んでほしいと思うようになりました。


そのくらい、こうくんは小さいままで、ずっと生まれたてのままのこうくんだったのです。


なぜ、私達のところにこうくんはやって来たのか?なんで?育てて行くのなんてムリ。

なんでうちなの?


そんな言葉がぐるぐると巡っていました。

こんなに泣いても、涙って枯れないんだなと不思議なくらい泣きました。


ある日、主人が突然、昼帰って来て「昼から休みもらった。」


そう言ったかと思うと、大声をあげて泣き始めました。男性があんなに声をあげて泣くのを私は初めて見ました。


「あなたが、昼間、一人泣いて過ごしてると思うと、耐えられない。」と。


大丈夫だよ と声をかけていてくれた夫も、色々と調べては不安になり、私の前では気丈に振る舞ってくれてましたが、この日、その糸がプツンと切れてしまったのでした。

出産~告知まで 3

産後、こうくんの心臓の穴を診てもらいに病院へ。


心室に空いた穴は、7~8ミリになっていました。ミルクの飲みも少なく、頑張って60ミリリットル。それをかなりの時間をかけて飲んでいました。


「体重の伸びが悪ければ手術をしましょう。また2週間後に来てくださいね。」とのことでした。


説明のあと、どのような流れで切り出したか、よく覚えていませんが「染色体異常の検査をお願いしたいのですが。」と担当の医師に相談しました。


「わかりました。だいたい3週間位で結果がでます。採血しますね。」


それから、長い告知までの時間。

私は毎日、ただただ泣いてばかりでした。


そんな私に主人は、「大丈夫だよ。多分、違うって。」と明るく振る舞っていました。