こうくんままのブログ

平成27年8月生まれの次男、こうくんはダウン症。房室中隔欠損症のオペを乗り越え、私達家族を笑顔にしてくれます。あれこれ悩み、立ち止まりつつ、でもにぎやかな我が家の事を書いていきたいです。

手術、この子への想いに気づく

そこの病院では、手術当日、親御さんがそろってから、親が子どもを手術室まで抱っこして移動し、自らの手で手術の担当の方にたくすという流れになっていました。


気丈に振る舞っているわけでもなく、涙は出ないだろうと思っていましたが、それまで眠っていたはずのこうくんが、パッと目を開けて、目があったとき、何かグッと込み上げてくるものがありました。


ちゃんとこの子を愛せているとわかったのが、まさに命がけの手術に向かう時だったとは…。


ただただ祈るしかできない自分が、とても無力に感じられました。





そして9時間後、無事に手術を乗り越えた息子のもとへ。

大きなベッドの真ん中に小さな体で、たくさんの点滴、チューブに繋がれ静かに息をしていました。


まだ余談を許さない状態ではありましたが、命がつながったことに感謝の気持ちでいっぱいでした。

伸びない体重、手術へ

こうくんは、一回40~60ミリリットルのミルクを、1日7回ほど。


1日の合計は、400ミリと平均の半分程の摂取量でした。もちろん体重は伸びず、生後2ヶ月を待たず手術することになりました。


心臓の穴は、7~8ミリ。呼吸は早く、泣くことはありませんでした。

手術の前々日に入院、前日に手術の説明という流れでした。


前日の手術の説明

人工心肺につなぐ、心臓を止める、心臓の一部からメスをいれ穴を塞ぐ、心臓を再び動かし人工心肺をやめ、自力呼吸へ。


…こんなこと、生後1ヶ月半の赤ちゃんが乗り越えられるの?というような内容でした。でも、お願いするしかない。


説明する小児心臓外科医の先生の手をじっと見つめていました。


こうくんへの愛情という愛情が芽生え始めたのは、この時くらいからだと思います。

いつの間にか、兄弟3人で遊び回る姿を夢見ていました。

告知から、一歩前へ

あの日

夫婦で、お互い「大丈夫?」と声を掛け合いながら待合室で時間を過ごしました。


医師からの告知の瞬間と言うのは、意外とあっけないものでした。


いつもの診察のあと こうくんの服を整えるのを、私がしていましたが、この日だけは違いました。


看護師さんが「お母さん、私がしますから、先生のお話を。」と変わってくれました。


心の中で

「あ、やっぱりだったか」と悟らざるを得ませんでした。


医師から画像を提示され、「21番目が3つ。21トリソミーです。」と。


小児科医と言うのは、親御さんを前に、こうやって細心の配慮をしながら慎重に言葉を選び、そして告知する。


私はこの時、告知されるより、告知をする方の先生方の気持ちはどんなんだろう?と、そんなことを考えていました。


告知されたあとは、不思議なことに、主人も私もスッキリとした気持ちでした。よくわかりませんが、モヤモヤとしたものが、クリアに見えたことで、スッキリした感じです。

涙は出ませんでした。




帰り道 立ち寄ったショッピングモールで、

こうくんを抱き上げたとき「あー。あったかい。このまま、あったかいままでいてね。」と思ったのを覚えています。