こうくんままのブログ

平成27年8月生まれの次男、こうくんはダウン症。房室中隔欠損症のオペを乗り越え、私達家族を笑顔にしてくれます。あれこれ悩み、立ち止まりつつ、でもにぎやかな我が家の事を書いていきたいです。

障害の受容の意味

ダウン症の障害受容ということ…



例えば、脳梗塞で半身麻痺になった

事故で足を失った。


自身に起きた障害を乗り越えるとき

人は、一般的に次のような過程を経て障害を受け入れます。


ショックや混乱→否定、否認→落胆や悲しみや怒り→適応、受容



ざっとこんな感じ。



ダウン症の場合、本人ではなく、親にこれが生じると思って。


自分が障害者になったわけじゃないのに。



で、何で?ショックを受けるのか?

別に自分のからだが痛いとか、しんどいとかないのに、何をそんなにショックに思うのか?




を考えてみた。



ひとつ

育てていく上で、健常児と違う方法(療育)が必要だったり場合によっては、医学的な管理が必要だったりするから。


子どもを世話するのは親なわけで、これを強いられることがひとつ、自分が障害者になったわけじゃないのにショックを受ける理由。


そしてもうひとつ。

先々、ぶつかるであろう困難を、親と言う立場で身代わりのように受け止めているから。きっと社会に出たら、困難にぶつかるであろうと心配と不安にさいなまれるから。


障害者を取り巻く嫌なニュースをたくさん知っているがゆえの不安。


でもね、あくまでも親が障害者になったわけじゃない。当の本人はどうなのか?




生まれたばかりの赤ちゃんが、自分がダウン症だからといって嘆き悲しむ訳じゃない。


もって生まれたものが、それがその子の今の全てだから。


持ってたものを失って、ダウン症という障害をこうむった訳じゃない。だから、ショックとかそういうのとは、次元が違う。




私は、何が言いたいのか?



ダウン症の子を持つ親として、一通りの苦悩を味わってきた。まだ2歳ちょっとの息子。親の背中を押してくれるのは、他ならない、この息子なのだ。


成長を通じて、少しずつ社会に適応してきている姿。

それを親が感じることで、受容していくのかな…?と。



でも、まだまだ頭のなか整理がつかない。

もう少し時間が要りそうです。


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