障害の受容の意味
ダウン症の障害受容ということ…
例えば、脳梗塞で半身麻痺になった
事故で足を失った。
自身に起きた障害を乗り越えるとき
人は、一般的に次のような過程を経て障害を受け入れます。
ショックや混乱→否定、否認→落胆や悲しみや怒り→適応、受容
ざっとこんな感じ。
ダウン症の場合、本人ではなく、親にこれが生じると思って。
自分が障害者になったわけじゃないのに。
で、何で?ショックを受けるのか?
別に自分のからだが痛いとか、しんどいとかないのに、何をそんなにショックに思うのか?
を考えてみた。
ひとつ
育てていく上で、健常児と違う方法(療育)が必要だったり場合によっては、医学的な管理が必要だったりするから。
子どもを世話するのは親なわけで、これを強いられることがひとつ、自分が障害者になったわけじゃないのにショックを受ける理由。
そしてもうひとつ。
先々、ぶつかるであろう困難を、親と言う立場で身代わりのように受け止めているから。きっと社会に出たら、困難にぶつかるであろうと心配と不安にさいなまれるから。
障害者を取り巻く嫌なニュースをたくさん知っているがゆえの不安。
でもね、あくまでも親が障害者になったわけじゃない。当の本人はどうなのか?
生まれたばかりの赤ちゃんが、自分がダウン症だからといって嘆き悲しむ訳じゃない。
もって生まれたものが、それがその子の今の全てだから。
持ってたものを失って、ダウン症という障害をこうむった訳じゃない。だから、ショックとかそういうのとは、次元が違う。
で
私は、何が言いたいのか?
ダウン症の子を持つ親として、一通りの苦悩を味わってきた。まだ2歳ちょっとの息子。親の背中を押してくれるのは、他ならない、この息子なのだ。
成長を通じて、少しずつ社会に適応してきている姿。
それを親が感じることで、受容していくのかな…?と。
でも、まだまだ頭のなか整理がつかない。
もう少し時間が要りそうです。