幸せか?不幸せか?
なんて、結局は、自分の心の持ち方ひとつなんだな。
「ダウン症の子を持って不幸?
健常児なら幸せ?
そうとも言えないよね…。」と。
こんな話を先輩からされました。
「こどもって、中高になったら手がかからなくなって、楽になるって言われるでしょ?
でもね、うちは、一年半不登校の中学生がいるのよ。一時は、上の子も不登校になって二人とも家にいた時期があったのよ。
親としては、あれこれ悩みながら考えてやってるんだけど、結局、がんばって乗りきるのはこども自身。親なんて何も出来ず今は見守るだけよ。何をどう頑張ればいいのかわからないよ。私もこどもも。学校の先生は、がんばってって言うけど、何を頑張ればいいの?って感じ。あれこれやりつくして、今は見守るだけ。
本当に、何が幸せで何が不幸なのか…幸せってなに?って思う事ばかりよ。」と。
生きていくって、大変。
ハンディキャップがあるないに関わらず、子どもが自立して生活できるよう、親がいなくても生活していけるようにするのが、親の役目なんだろうけどね。
健常だからといってイコール幸せとは限らない。
先輩はそう言いたかったのかな…。
そうね、障がいの有無にかかわらず、幸せな人は幸せだし、不幸な人は、不幸なんだろうね。人に羨ましがられても、その人が、自分が不幸な人間だと思えば、それは不幸なんだろうしね。
てことは、環境じゃなくて、やっぱり幸せは心の持ちようでも変わるのかもなぁっ➰🎵て思ったり。
出ました❗ポジティブ人間(笑)
自分のことならどれだけでも頑張れるけど、子どもの事となると、親として何をどう頑張るか考えちゃうよね。難問難問。